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(2)分かって欲しいの。
そんな偏った思考回路の持ち主でも、「自分を解ってもらいたい」と思うのだ。
人間が、ホントに矛盾した生き物だということも、近頃よく思う。
引き篭もりの友達や知り合いはいないので、真実がどうかは判らない。
でもきっと、誰かに何かを判ってもらいたい願望が、在るのじゃないだろうか。
誰もわかってくれない、という絶望感を抱いているのじゃないだろうか。
#やはりゲーム脳になるつつあるのか、思考が一本化しているようにも思うけど。
私の近頃の孤立感というか、孤独感は、この二年くらいに起こった、
いろいろから来ている。
一年程前まで、
なんとなく好感の持てる同級生と10年ぶりくらいに再会したので、
お約束のように付き合うことになった。
どれくらい付き合っていたのかさえ私は覚えていないが・・・。
2年は経っていないような気がする(笑)
会う時間はものすごく少なかったので、付き合っていると言えるのかどうかすら
疑問に思うほどだった。
信頼心も懐疑心も、その彼には持たずに付き合い始めた。
でも、なんだか、いろいろと裏切られたような目に会い、言動に会い、
この人は私を必要とはしていない、と感じたので、別れた。
#依存する分、依存される事も求めているのだろうか?
一番印象的に残っている屈辱的だった事がふたつある。
ひとつは、私のクマぬいぐるみ収集について、(もうやっていない)
「まだそんなもの集めてたんだ?(苦笑)」
その時に、これはこの人の本音だ、と直感した。
私を否定されたようで、とてもとてもイヤだった。
それまで聞いていた、「そんなもの」に関する会話が全て、、、
ようするに表面的なものでしかなかったのだということが露呈した瞬間だった。
あぁ、もうダメだなー、きっとこのまま付き合っても、結婚とかまで行けない。
誰だって、自分の好きなものは否定されたくないと思う。
私は、彼の何かを蔑ろにしたことなど、一度もなかったはずだ。
会う時間が少なかったのは、彼の仕事が忙しかったこともある。
分かり合う時間が少なかったのだろうか。
会っている間、私はたくさん喋ったと思う。
だけど、私が喋った事の半分も、彼は覚えていなかったのだろう、
同じ事を何度か聞かれた。
私がゲームをしていることも、理解を示しているフリをしてたのだろう、
結局オンラインゲームに対する彼が持つ偏見は、拭えなかったようだった。
忙しくても、携帯のメールくらいできるんじゃないの?
という世の中の可愛い女の子のようなことも、思った。
私が誘わないと、どこかへ行こうかとか、会おうか、とかいうレベルの
普通に誘うメールが来なければ、
いま何をしているとか、おはようとかオヤスミとか、それすら無かった。
起きているのか、元気なのか、週末休みなのか、忙しいのか、
楽しいのか、嬉しいのか、悔しいのか、生きているのかさえも分からないまま、
「付き合っている日々」が過ぎた。
彼は、高校の時、学級委員長をしていた人だ。
人気者だったのか、男女問わず他の同級生との交流も活発な人だった。
飲み会や、ドライブなど、よく行っていたようだった。
けれど、私をそのような場へ誘ってくれる事は無かったし、
付き合っていることすら、しばらくは他の同級生にひた隠していた。
私は、他の同級生にも会いたいな~と何度か言ったけれど、
結局誰にも会わされることはなかった。
#地元を暫く離れていた事もあり、私からは他の友の連絡先は分からなかった。
常に放置されている、という孤独を感じていた。
好きじゃなかったのではないか、と言われそうだけれど、
そうでも無かったようだった。
それは、別れるときに、少し話をして判った事がある、
「ゲームをしてて忙しいだろうから」などという事を言っていた。
「外に出かけるの好きじゃないみたいだから」とも言っていた。
「大事にしすぎて気を遣いすぎたのかも」とも言っていた。
「他の同級生に会わせると、間違いがあるといけないから」とも言っていた。
私の話を、聞いていない裏づけでしかない言い訳。
些細でもいい、交流が欲しかった。
何日も連絡もせず、過ごす事が普通だった。
なんでもいいからメール欲しいと言っても、メールは来ない。
かまってくれなきゃ死ぬから、といっても、メールは来なかった。
たまに会って話を聞いていると、他の友達とどーしたこーしたの話題ばかり。
私を除いては、密に連絡を取り合う能力は持ち合わせているわけで。
これはもう破局しかないわけですよ。
女王様はわがままなんですから。
いまでもたまに思うことがある。
彼はそんな状態で、私に何をもとめていたのだろうか。
好きだとか、ほんとうに思っていたのだろうか。
私の何を、理解していたというのだろうか。
そして、まだ続くw
(1)大好きは伝わらない。
※書きためてしまったのでまとまりもなく長いので・・・分割掲載。
#誰でもいい、この場合私のコトとして言うならば。
自分の「だいすき。」は、得てして他人(ひと)には伝わりにくいものだ。
近頃、身にしみてたまらない孤独感は、こんなところから来ている。
個人が持っている感性に同調したり共鳴したりするのは、ほぼ奇跡なのだなぁ、と。
いろいろな事を分かち合いたい、と思っても、私には友達がいない。
親しい友達はみんな、遠方へ引越ししてしまい、疎遠になった。
オンラインでの知り合いはたくさんいるけれど、
電話をしてまで話をするような人は、数少ないし、メールにも限界がある。
加えて、こちらからメールを送ることはあっても、
返事としてメールがくることがあっても、向こうから来る事は少ない。
当然、電話も掛かって来なければ、人が訪ねて来る事も無い。
ずっと、所謂オフラインの人との交流を避けてきた訳だから、当然の今、ではある。
閉鎖的な生活を送っているから、新しい出会いがあるわけもないので、
至極必然的に、引きこもりのような状態になっている。
毎日、仕事をしているから、引き篭もりに分類されないだけで。
少し遡ってみる。
信用していない、というのは、嫌い、にも繋がっていて、
これは、徹底的にそうだ、と断言しておく。
特に男が嫌いで、次に肉親というものが嫌いだ。
信用するしないの観点では、当然女も信用してはいない。
ただ、人に言わせると、全面的に信用している、の裏返しだ、らしいが。
一番に親に裏切られた、という記憶があり、両親に心許すことは絶対にない。
本当に、私にとってイタイ出来事だったと思う。
詳しく書くことは今は避けるけれど、
世の中には、絶対に解り合えない種類の人間がいるのだと、
人間なんて信用に値するほどの価値など一切無いのだと、悟った事件であった。
それ以来私には「おとうさん」「おかあさん」はおらず、そう呼ぶ事をしなくなった。
私にとってこれほど信用・信頼できない人間は、他に世の中にはいない。
それに比べたら、他人がいかに簡潔で単純で愛すべき存在か、
自分以外の人間のやる事なんて、所詮、たかがしれている。
そう、「信用」なんていう言葉は、コトバでしかないのだ。
他人を理解するのは容易(たやす)い。
そのそれぞれを納得するかしないか、支持するかしないかは、理解とは別だからだ。
話を聞いて、覚えておけば、それらを順序だてて推測し、
言動や動向を単に観察すれば、自ずとに理解する事はできる。
ただ、理解したと思う内容を自分自身は鵜呑みにしたり断定したりすることもなく、
あくまでも「そうかもね」程度の判断材料とする。
思い込みや偏見を持たないためだ。
イタイ目にあいたくない、自己防衛なのだろう、と思っている。
「こういう傾向がある」「こういう前科(実績)がある」「こういう面もある」と
自分の感性に覚えさせておく。
そうすると信用できようが出来まいが、何も問題はない。
そもそも、何事も受け入れてしまうアメーバ体質になった背景とは、
このあたりだろう、と思っている。
誰かが「信じられない!」と声を張り上げそうになるような事件でも、
私は「ふ~ん」程度の感想しか得ない事にしている。
世の中にはほんとうに、何でもあるのだ。
そして、裏を返せば、そうやって私は何事もスルーしているのだ、と思っている。
付き合い、というものを避けてきたつもりでも、
それなりに出会いはあったのかもしれない。
私は今まで普通に恋愛したことが無い。
生身の人を好きになることほど困難なことは、無いからだ。
それでもあれこれ男と付き合ってきた結果、わかった事がある。
現実の私は、完璧な女王様タイプだということだ。
そして、身も心も徹底的に相手に依存する。
誰も信用しない裏返しで、誰か1人「好きな人」が居れば生きていけるタイプ、
とでも言ったほうが早いか?
えーっと、続くw
#都道府県市町村を知らぬは恥?
ネット上のニュースフラッシュやテレビでニュースを聞くだに腹立たしい事がある。
「どこで」起こった事件のニュースなのか、サッパリわからないからだ。
何故、「●●市」とだけ報道するのだろうか。
それとも「●●市」が「○○県」なのか、を当然知っているべき事なのだろうか。
せいぜい日本国内の「○○県」くらいは認識できても、市だけ言われて、
それがドコ県なのか、までは私には、分からない。
たとえば先ほど、Yahooトピックスを見ていたが、「高松市」とあり、
それが自分の県から近いところの話なのか、どうなのか、判断できずにいる。
そんっっなに皆、地名に精通しているものなの!!!???
なんで??なんでナニ県だか書かないわけ?言わないわけ?
知らないほうがアリエナイわけ???(八つ当たり気味に)
NHKのニュースは特にそうだ。
私は、そんなわけで国内のニュースにもかかわらず、ドコの話をしているのかわからないままに、事象の概要情報だけを与えられていることが多い。
フツーに生活する上で、県名や県の日本国内における位置、県庁所在地等々が必須情報だとは思えない。
だが、現在は、「そんなこと知ってて当然」人向けのような報道に思える。
知らないから、僻んでいるように聞こえるかもしれないが、どうだろうw
国際化国際化、というが・・・
暫く前にイランやらイラクの場所を知っていますか風な質問に対して、知らない人が多かった云々、これは遺憾だ云々、というニュースを見た。
当然私は知らない。
べつに知らない事を、恥とも思わない。
知らないほうが自然だと思うが、いかがだろうか。
日本は島国だ。
隣接国家の場所さえ、海を越えた向こう側だ。
隣国がどのようであるかなんて、割と別次元な生活を、連綿としていたに違いない。
太古からそうなのだろうから、地理的な意識が低くても、そのことに疑問は持たない。
とかなんとかクダを巻いてみる。
おそらく県内の町村群名、ましては自分の町内ですら、認識していない人のほうが、
はるかに大いに違いない、と私は認識しているが、、、
県内版の地方ニュースならまだしも、全国版のニュースで地名を市から述べる方向に異議有り。
耳で聞いているだけでニュースを理解しようとすれば、
地理に精通していなくてはダメだと暗に示唆されているのだろうか?
それとも、そんなことは恥なので勉強しなさいってコトですかねぇ・・・
えー、めざしです。
もちろん干物の、です
よく見て欲しい。
尻尾がないのがお解りだろうか。
パック時を写真におさめなかったのが残念でならない、、、
まさかこんなことになっていようとは、思わなかったから。
このめざしは「TV」商品でおなじみのスーパーから購入してきた。
#「テレビ」ではない、わかる人だけ分かってください。
長方形を横置きにしたトレイに、縦に8尾ならんでおり、
横置いたトレイの下部、つまりめざしの尻尾の上には、バランが装飾されていた。
バランとは、弁当などに入っている緑の竹っぽい葉を模した仕切り、あれである。
いざ食べるために、パックをほどいて、思わず「目が点」状態になった。
「え・・・」 写真のとおり尻尾は切られており、なんだか不良品のような印象。
「ちょっとちょっと奥サンッ」と冷蔵庫を覗いていた母を呼びつけ、
二人で、「なんじゃこりゃ~~!?」である。
(1)
どうよ? どうなのよ?
尻尾のないめざしなんて、売っていいわけ?
トレイに乗らないサイズだからって、きっと誤魔化したのね!
しかも尻尾がないことを隠すかのようにバランを施し、
あたかも正常品のように装い売りつけるなんて、信じられない~~~~(`д´)ノ
(2)
う~~ん、別に尻尾なくてもめざしだし、尻尾食べるわけじゃないしね?
どうせ焼いたら尻尾なんて焦げちゃって屑が食卓におちちゃうわけで、
それなら最初からない方が親切といえなくもないよね?
むしろ頭切られるよりヨカッタよね?
しかし、しかしである。
アジ開きの干物だって、頭が無いものがあっても尻尾ナシは見たことが無い。
たかがめざしの尻尾である。
しかし、されどめざしの尻尾。
不思議と、欠陥品を食べるような気持ちなのだ。
網に並べてもなお、納得いかなぁ~~~いwww と唸る二人。
いざ焼きました。
さぁ食事です。
皿に盛られためざしは、なんとなく寸足らずである。
確かに焦げた尻尾が食卓に散らかる事も無く、良いような錯覚。
だが、やはり干物とはいえ焼き魚に尻尾がないのはイカン!という結論。
食べる時に掴むところがないではないか!
本気でスーパーに投書しようかと考えた今日この頃。
恐るべし流通本位社会。
トレイにのらないからといって尻尾を切り落とした干物なんぞが、
平気で売られている、しかも消費者を欺くかのような小細工を施して、だ。
箱に並ばないから曲がったきゅうりはいりません、と同じなのだろうか。
すこし背の高い(?)めざしは足(?)を切られて運ばれてきたわけだ。
一回りおおきなトレイでは、きっとコストが合わなかったか大きすぎで、
梱包に不向き、と却下されたのだろうと私は考える。
自然の恵みである農水蓄産物のすべてに規格規格と目くじらを立て、
日本人は曲がった野菜は食べない等という恥辱的なレッテルを張られてもなお、
流通コスト削減のために、キレイに並ぶ規格を追及することを、私は疑う。
全てをパック詰にして、万が一食中毒でも起きようものなら困る、
とばかりに消費期限を貼り付けて、販売者は責任逃れの道を確保する。
食い物くらい自己責任で飲み食いしやがれっての。
余談になったが。
ほんとうにイヤな世の中だなぁ、と悲しくなってみたりもした。
こんなことしてまで、トレイに乗せなきゃいけなかったのか、
しかもそれを誤魔化すなんて、、、売る側の誠意もないにも、まったく感じられ
ない事に、ほんとうにガッカリもした。
みなさんは、どう思うのだろうか。
ンなことどーでもいい?ほんとに?
念のためバラン↓
http://www.appui.jp/cgi-bin/demo_asahi/scene.cgi?type=1&sub_type=4
ウチは、墓地の隣に建っている。
隣も前も墓地である。
新しい売り出し区画はもうナイわけだが、まだ墓が建たず空き地の区画がいくつかある。
そんななか、道筋に一番近いひとつの空き地に墓屋がやってきた。
おそらく分譲区画の2区画分の広さだ。
(そうか、ここ一家分だったのか・・・的な広さ。)
とにかく車一台がやっと通れるほどの道を挟んだ隣が墓地なわけで、
墓屋がくると、そりゃもううるさいわ埃っぽいわで大変なのである。
その場を見たことのない人にはわからないかもしれないが、
工事現場と同じようなもんだと思って構わない。
基礎、セメント練り左官工事、石切り、石削り、、、
とにかく石を切るときに出る粉塵といったら始末に終えない。
どうして工場で切ってこないのか、甚だ憤慨気味であるが、なぜか現場で必ず切るのだ。
当然現場であわせて切るのだろうけれど、そんなことは分かっているが却下。
電気を使うため、発電機を動かすので、エンジンの排気とともに音もヒドイ。
石塔を建てる時には、ユニックのみならずクレーンまでやってくる。
運ばれてきたのは、おそらくこの墓地一番の黒さだと思われる石。
御影石は黒いほど良いのだろうか?
彫りの施された石灯篭まであつらえてある。
入口から回り階段のように90度上るのだが、欄干にも装飾が施されている。
とうぜん、上がった先の床材にも彫刻が入っている。
いよいよ墓石の建て方という日。
運ばれてきたのは、銘が入る表面を、彫り込んである石塔であった。
ちょっと分で説明するのは難しいのだが、、、
普通、墓石は平たい表面に「***家之墓」等と文字が彫ってある。
そこを、まず淵だけ残して文字を彫る面を一段下げてある状態にして、
その掘り下げた面に、文字を彫るわけだ。
お盆のようになっていると思ってもらうといいかも・・・
飾り彫りで銘の入っている墓は、この墓地には、他には無い。
つまりとても珍しい高級墓なのだ。
こうなると、やはり近所の野次馬根性は黙っていない。
墓屋が最後の仕上げに来ていて、ウチにはちょうど来客が3名ほど重なっていたときだ。
気候もよく、帰り際に事務所の玄関をでた所で立ち話になった。
これだけ立派な墓なのだからして、一番気になるのは、お値段だ。
ついみんな件の墓のほうへ足が向く。
野次A「立派なお墓ですねぇ~」
墓屋 「えぇー、いまどき珍しいです」
野次B「見事な御影石ですね~」
墓屋 「えぇ、めったにこの石はないですな~」
野次A「ねぇ~、高いでしょ?このお墓・・・」
墓屋 「へぇ、、、ええぇ、そうですねぇ、この飾り彫りの石塔がねぇ」
野次A「700万くらいするんじゃないの?」
墓屋 「ん~~、まぁ・・・高いですよ・・・」
墓屋は言葉を濁した。
つまり野次Aが尋ねた値段より、まだまだ高い、ということだ。
家が建つぞ・・・。
人の価値観はそれぞれだ。
たかが、死んでから骨入れて置かれるだけの石の塔に、何の価値があるのか、
疑う人は、少ないのかもしれない。
先祖代々の・・・由緒正しき***家の・・・
でも、骨じゃん。
・・・・と言ってしまうと身も蓋もないないのだが。
死者への弔い、というのは残された人の為のものだと私は思っている。
召された魂が、生きるも消えるも、残された人如何だと思っている。
その誰かに、死んでもなお、何かをしてあげたいのだろうなぁ、
死んでしまったからこそ、余計に何かをしてあげたいのだろうなぁ。
人は目の前に大切なモノがあっても、気がつかないことが折々である。
死人に札束を積み上げるより、生きている間にもっと、なにかこう、大事にして欲しい。
並以上に立派に見えたその墓が出来ていく様を見て、そんなことを考えた。
そのような行為を、蔑ろにしているわけでは、ない。
私は脳内で、二面三面からの考えを、論文的にまとめる癖がある。
そうやっているうちに、どれが自分の意見なのかよく解からなくなるのだが。
ほんとうはどうでもいいことを、あれこれ考えてしまうのだ。
そして、いろいろなことの真実を知りたい、と思っているのかもしれない。
暫く時を置いて、それを思い出したときに一番直感的に出てきた文節が、
印象的で、きっと自分の考えなのではないかとも、思う。
主題から離れてきたが、何かあると、それをつい文章化しようとする。
まったくの個人的意見と、差し障りのなさそうな一般論、批判的な態度、
賞賛しようとする肯定的な意見。
それぞれが思考回路から吐き出される。
二重人格、多重人格的な普段の立ち居振る舞いは、こんなところに由来している。
だから、どんな人なのかわからない、とよく言われる。
自分の意見がない、つかみどころのない人間だと、よく判断される。
全く話が逸れたが。
あのように立派な墓を建造してはみたものの、納骨以来誰も墓参りには来ない。
そんなことも七不思議的な疑問を私に投げかける。
墓って・・・・・